触る実験

1.自分の「頭」を触る


リチャード・ラング

頭がないことに対する、よくある反論は、次のことです::

「なるほど、私には自分の頭は見えませんが、でもそれに触ることができます。だから、私はここに、頭をもっています」

では、このことを議論を通じてではなく、直接経験によって、探究しましょう。

私が自分の「頭」を触るとき、自分の指が消えるのが見え、それから触った感覚の経験が続きます。

あなたの「頭」を今、触ってみてください。あなたは何を経験しますか?

これらの感覚は、あなたの頭の表面で起こっていますか?-頭とは、固く、色のついた、形のある物のことです―それとも、広がった気づきの中でしょうか?

私にとっては、それらは広がった気づきの中で、起こっています。

ダグラス・ハーディンは、次のように言っています:

「もしこれらすべてが非常に視覚的で、実際、ここにあるこの固い物に自分は触ることができ、それが自分の世界の中心にある、何もないように見える虚空を満たしているという考えが、私に起こるとすれば、そのときには、私はこの物をなで、つねり、拳で殴り始める。しかし、それでもまだ私は、これが物ではまったくなく、まして、ピンクがかった白色で、毛がはえている不透明な一つの物であるとはまったく発見しない。代わりに、私は触覚の連続した感覚に気づき、それらは音、匂い、味などと同じく実体がなく、それもまたこの同じ空間の中で、来ては去っていくものである」(「心眼を得る」より)

もちろん、私は、特定の感覚が、たとえば私の口や私の耳などの外見として、他人には(あるいは私が鏡を見るときには、自分自身に)、現れることを知っています。もちろん、このことを知ることは重要なことです。それは、ここで私が感じることと、向こうの私の外見に直接的関係があることを、私が理解しているという意味です。しかし、この理解は、この世界で生きるために必要不可欠ではありますが、だからといって、中心で、私を他のあらゆるものから分離した一個の物にはしません。

2.物に触る


スティーヴ・マンロー

私たちは、自分が見たり聞いたりするものの外見を身につけるだけではなく、また自分が触るものの感触も身につけます―それを素早い実験をおこなうことで、見ることができます。

人さし指を出して、手近かにある物や表面を、触ってください。どんなものでもいいです―椅子、カーペット、自分の服など、何でもいいです。

ここで感じられることは、何ですか?

それは、あなたの指先の感覚と触られた物の感覚でしょうか? それとも、むしろ、たった一つの感覚、その物の感覚だけが存在しているのではないでしょうか? 布の感触、木の滑らかさなど。実際、あなたの指先は、それ自身を自分が触っている物へ、魔法のように変えたというのが、本当ではないでしょうか? あなたの指先が、あの物なのです! あなたの指先は、それがあの物の感触を身につけることができるために、自分自身を空っぽにしなければ、ならないのです。実際、そのことは、あなたの体の表面の皮膚と、もちろん、すべての感覚について言えることです。

これは、私たちに自分の現実の本質を示してくれる、もう一つの方法です。つまり、私たちの本質は、世界が起こるために、空っぽであるということです。

別の実験を続ける。

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